Junの英語学習ブログー英語通訳・翻訳・ガイド・講師ー

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楽しみながら学ぶ

うちの子供は、理科と社会がちょっと苦手です。特に社会は近現代の流れが頭に入ってないと言われたそうですが、以前私と一緒に「西郷どん」を時々見ていたので、大久保利通西郷隆盛についてだけは、知識があるようです。また、やたら難しい単語を覚えているな、と不思議に思っていたら、ボカロの曲の歌詞に出てきたものらしく、教科書の単語は忘れるのに、こんな入試に関係ない(長い目で見れば覚えている方がいいのですが)言葉は忘れないんだなーと思いました。

 

学生の勉強だけでなく、英語やガイドの勉強も、自分が好きなことや何か楽しめる活動を通してやってみると、苦手だと思っていることも頭に入りやすくなります。

 

平泉は何度もガイドしていますが、最初の頃は、藤原氏四代の名前がごっちゃになって、業績と結びつけるのも大変でした。前九年の役後三年の役も内容が混ざってしまいがちで、あー、覚えるの面倒くさっ!と思っていました。それが、作家の高橋克彦さんが書いた安倍氏藤原氏の時代を舞台にした小説「炎立つ」を読んだら、一発で頭に入りました。歴史的な事を頭に入れるには、小説と大河ドラマ、あとは漫画がおすすめです。

 

あと、英単語を覚えたり発音の改善には、洋楽を歌って覚える、という方法もあります。いわば「メロディ付きのシャドーイング」ですね。普通にシャドーイングやってると、せいぜい同じ素材3、4回くらいで飽きてくるし、それを全部おぼえるのは困難ですが、歌だと自然にできてしまいます。

 

その他、映画、YouTubeで興味のある分野を英語で見たりする、英語で何か好きな事をする、好きな分野の雑誌を読むなどのこともできると思います。高校生の頃アメリカの高校でもドラマのクラスを取ってましたが、クラスの個人発表会で発表した時に言ったセリフは、一部ですが今でも頭に残っています。

 

教科書や語学のテキストのみを使って勉強していると、行き詰まってしまうことがあるかもしれません。そういう時息抜きも兼ねて、違った方向からアプローチしてみると、楽しく勉強できると思います。前も似たようなこと書いていたかも知れませんね。子供に明治から第二次大戦が終わったあたりまでの事について、何か問題出してくれと言われて、回答ぶりをみていて思い出したので書いてみました。

県外受験が増えている

2、3年くらい前から、岩手県でも(盛岡市の子供がほとんどだと思われますが)、県外の有名私立や公立の進学校を受験する子供が増えてきました。昨年辺りから、その流れが加速したように思います。

 

昨年同じ中学の先輩が、東京の私立名門K高校に合格しました。何となく、これをきっかけに県外受験する子が増えたように思います。子供のクラスでも、多分5人くらいは県外受験するのではないでしょうか。

 

岩手でもこういう子達が増えるのは、いいことだと思います。岩手は小学校までは全国学力模試の成績も悪くないのに、中学に入るとガックリ落ちてしまいます。以前、ALTの先生が言ってましたが、成績のいい子なのに親から無理やり農業や商売を継げと言われて、将来に希望が持てず成績が下がってしまう子供が結構います。なので、大きな志を持って、全国レベルで勝負出来る人間が増えるのは、いい事だと思います。

 

ただ、そうなってくると、ますます優秀な人材が田舎から都会に流れてしまい、地域の将来が先細りになるのではという心配があります。優秀な子供は思い切って県外の高いレベルの教育を行っているところや、親が子供の力を伸ばしてくれると確信する学校に送り出すと同時に、県内の高校や中学のレベルを上げることも重要ではないでしょうか。東京で勉強させるまで資金がないけど優秀な子供を、県内でも伸ばしていけるような体制を整えることも同時進行でやって行くべきだと思います。いくつか頑張ってる学校もありますが、そういう学校はごく少数かな、と思います。

 

ちょっと話しがずれますが、昨年東京の私立校名門校に合格した生徒は、中学3年までに英検2級に合格していたようでした。受験に影響があったかどうかはっきり分かりませんが、かなりプラスになったのではないかと思います。私立の大学受験も、英語が抜群にできれば、かなり上位レベルの大学に合格できます。

 

外で勉強して、また戻って来たいと思えるような魅力的ない故郷になって欲しいと思います。

 

 

 被災地視察のガイド・通訳2

東日本大震災関連の被災地視察の仕事は、震災直後から多数経験しました。通訳が多かったですが、ガイドの仕事もありました。ガイドという位置づけの仕事でも、大抵地元の語り部さんのお話や、商店や住民の方々へのインタビューなどが入るので、通訳込みの事がほとんどでした。23日も福島で被災地のガイドの仕事をしましたが、時間の半分くらいが通訳になりました。

 

お客様はオーストラリアとニュージーランドの方々が大半で、ドイツとオーストリアからの個人参加の方々が1名づつ、合計12名でした。1日ですが、朝8:00発で東京駅着が20:00予定の、長いツアーです。

 

バスに乗っている最中に、ガイドがツアーの趣旨やスケジュール、何が起こったか、放射線のことについてなどを話します。福島第一原発の中には入りませんが、原発から約3km付近まで行きます。また、このツアーの特徴の一つが、ゲスト1人1人にガイガーカウンターを渡すことです。これで、避難指示解除されたところはすでに安全であり、除染がまだ行われていない地域や原発近くは線量が高め、ということを実感していただけます。

 

以下のようなところに行きました。

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浪江町の駅から、周辺を散策。2017年に避難解除されたところですが、元の住民の人口の5%程度、約1000人しか戻ってきてないとの事です。これは居酒屋の店内ですが、慌てて避難した様子が見られます。

 

原発から14kmの地点で、牧場を営んでいる方の所でお話を伺いました。これはガイドが逐次通訳で伝えます。330頭の牛を殺処分するよう行政からお達しがあったそうですが、出来なかったそうです。今でも買い手がつかない牛330頭は、ほぼそのまま牧場にいるそうです。状況を省庁に訴えてもたらい回しにされたそうで、原発の危険性を訴えるために、過激な車を引っ提げて、時々東京の渋谷ハチ公前などで、演説してるそうです。牧場名を原発事故後「希望の牧場」に変えたそうです。他牧場で殺処分された牛の写真を見せる時、ウジ虫maggot という単語が出て来るのですが、前回言えませんでしたが今回は思い出せました。

 

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津波をかぶって中がめちゃくちゃになった小学校。幸い生徒は近くの山に避難して全員無事でした。津波到達時間で時計が止まってます。以前も別の仕事で来たことがありますが、前は中に入って見ることが出来ました。今は記念館にする準備中のため、立ち入り禁止になっているそうです。

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福島第一原発です。この不近は線量がまだ他と比べて高いです。

 

最後に震災のいわゆる「語り部」の方からお話しを伺いました。実際に漁港の所に行って津波の時様子から、街の現在の復興の状況をお話ししていただきました。これも逐次通訳でした。こちらの地域は津波は高かったものの、津波による死者は30名以下と比較的少なかったそうです。しかし、その後の避難生活のストレスから来る震災関連死で、400人以上亡くなっているそうです。

 

会社の立場としては、原発に反対賛成どちらでもなくニュートラルな立場に立って、過去や現状をそのまま見ていただくことによって、自分の人生や家族、生活の事など、様々な事について考えて見てほしいという考えでツアーを組んでいる、ということでした。

 

お客様によって印象に残った部分は様々でしたが、全体として強烈な印象を残したのではないかと思います。私もガイドの最中は夢中なので特に何も思い浮かばないのですが、あらためて書いてみると、これまで昔から継続してきた自分達の居場所であるコミュニティが、帰ってきて見たら突然ゴーストタウンのようになっていたら、どういう気持ちだろうかと思いました。もう住めなくなってしまった所もあります。まだ311は終わっていない、今後色々な事をしていかなくてはいけないと思いました。

 

 

 

 

ガイドの仕事の広げ方

東北では仕事が少ないけど、ガイドの人数も少ないので、仕事が全く回ってこないということは、新人さんでどう動いたらいいかわからない、という人以外はほとんどないと思います。逆に東京など、首都圏や関西の方の通訳ガイドは、仕事もあるけど人数も多いので、仕事が回ってこない、ということもあるようです。

 

そういう場合には、純粋なガイドの仕事だけではなく、広く周辺の仕事まで枠を広げてみてはどうでしょうか。ガイドの仕事関連だと、ホテルと空港間の送迎、イベント会場への送迎と付き添い、博物館などでのガイド、クルーズ船の案内、バス載せ込みスタッフなどの仕事もあります。

 

また、語学力が高ければ、簡単な通訳、観光分野の翻訳、国際会議やスポーツ大会のスタッフの仕事なども対応できると思います。語学講師もできるのではないでしょうか。また、旅程管理資格があれば、日本人対象のガイドの仕事もできそうです。これは、ガイドの仕事にもいい影響を及ぼすかもしれません。

 

ガイドだけしかやりたくないというなら別ですが、そうでないならもう少し範囲を広げれば、仕事や収入も増えると思います。

入試が迫ってきた〜!

明日仕事なので、東京に戻りましたが、その前に塾の高校入試直前セミナーに、子供と一緒に参加しました。会場は中3の子供と親でほぼ満席でした。いつの時点かわかりませんが、中学に入ってから塾に通い始めた、保育園や小学校の同級生もちらほらいて、もうみんなこんな年頃になったんだな、と思いました。

 

塾の先生方も、いつもより話に熱が入っているように感じられました。模試でC判定だったり、内申書の点数が平均より悪くても、ここから頑張って合格した例は多数ある、とのことでした。私が中学や大学の頃の事を考えてみても、「あの人が落ちるなんて…。」とか、逆に「えー!あいつ受かったの?」なんて驚かされた例もあったので、確かにそういうケースもあるかもしれません。うちも内申点がイマイチなのと、第一志望はB判定が多く、Aは1、2回だけという感じなので、これから本当に頑張って欲しいなと思います。

 

また、これも本当にそうだと思ったのですが、いい高校に入ったからと言って、そのままいい成績でいるとは限りません。不本意ながら滑り止め校や志望校を下げて入った子供の方が、良い大学に入ったという例もあります。もちろん、良い大学に入ったからと言って、それからも上手くいくとは限らないのも同じです。

 

あと、高校に入ってから数学で苦労する子が多くなるという点や、文系でも理系でも英語が重要という点もうなずけました。だから、高校に入ってからはこのコースで継続、となったのは塾も商売なので仕方ないでしょう。

 

「人事を尽くして天命を待つ」心構えでベストを尽くすようにすれば、どういう結果が出ても今後の人生の役に立つでしょう。私としては、高校に入ってからでも良いので、勉強の楽しさを発見してくれたらいいな、と思います。

ハンドウォーマー完成

子供の頃から、編み物や縫い物、手芸が好きで、大学を出てすぐの頃に就職した会社は、アパレルメーカーでした。仕事は秘書と外国部だったので、直接服などを作る部署ではなかったのですが、ファッション・ショーの直前には、私もスパンコールをつけたり、ちょっとした生地をくっつけたりするのを手伝いました。

 

洋裁も好きなのですが、引っ越す時にミシンのコンセントをなくしたことと、道具が色々必要で、作るのにスペースもいることから、今は時間がある時には、編み物をすることが多いです。1年半くらい趣味の時間がなかったような気がしますが、最近小物ぐらいなら編めるようになりました。

 

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NHKのステキにハンドメイドに掲載されていた、ハンドウォーマーを編んでみました。仕事をしながら作ったので、いつもよりかなり時間がかかりました。あとは、子供の手袋も編みました。単純作業といえばそうなので、頭を休めるのにちょうどいいです。

大きな仕事終了

今年最後の大仕事が今日終了しました。まだ講師の仕事と、単発のガイドの仕事がありますが、ちょっと背伸びして事前に懸命に勉強する必要があるような仕事は、今年はこれが最後だと思います。技術系の同時通訳の仕事でした。ウィスパーは、2、3度やったことがありましたが、同時通訳の仕事は初めてでした。

 

しかも、昨日1日今日半日全部1人でやったので、終わったあとは、頭がぼーっとしました。かなり脳みそ使う仕事だということが、初めて実感出来ました。なぜ、私くらいの実力でも出来たかというと、技術系の通訳は割と数多くこなしていたので、語彙が頭にある程度入っていたこと、3分の1くらいが事前にもらった原稿に訳をつけて、日本語に合わせて英語を読む形式だったこと、ほとんど日英だったこと、今年の1月から、同時通訳の練習を始めていたこと、などが理由として挙げられます。

 

逐次は英日の方がやりやすいし、リスニング力も普通の人よりあると思うのですが、何故か同通だと日英の方がやっていて楽に感じられます。聞く時に負担が少ないので、言葉が出やすいのかなと思います。あと、やはり全くやったことがなければ、「同通で」と言われても、全く出来なかったのではないかと思いました。グリンズで勉強させて頂いていて、本当に良かったと思いました。あと、資料が一部ギリギリだったり、当日いきなり変更になったりしたものがあったものの、1週間前から入手できていたものも一部あって、事前にある程度勉強できたし、全くのぶっつけみたいなものがなかったからだと思います。

 

もちろん、出来たとはいえ、素晴らしい訳からは程遠く、意味がわかる程度になってしまったものもあったと思います。また、全部直前に来ていたりしたらお手上げだったと思います。ほぼぶっつけで出来るほどの実力はないし、正直逐次通訳もまだまだだです。でも、今回チャレンジしたことで、やれば出来るのではないかという気持ちになれました。それに、大変でしたが、楽しくもありました。貴重な機会を与えていただき、本当に良かったです。もっと勉強勉強・練習して上手くなりたいと思いました。この歳でこういう気持ちを持てるのは、幸せな事なのではないかと思います。

 

まだ仕事がいくつかあるので、そちらも頑張りたいと思います。