Junの英語学習ブログー英語通訳・翻訳・ガイド・講師ー

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陸前高田市に津波伝承館完成!

陸前高田市は、東日本大震災の際にもっとも被害の大きかった自治体の一つです。私も2011年3月15日に、フランスとブラジルの女性ジャーナリストの方々と一緒に訪れましたが、市内3キロ手前から見た市内全域がめちゃくちゃになった光景を今でも忘れることができません。あまりにもがれきが多いため、結局市内には立ち入ることができず、ほんの少し周辺で取材した後、そのまま避難所の一つだった高田一中に向かったのでした。取材した場所の付近では、自衛隊が歩道橋だったところの下で、遺体を発見しただったようで、青いビニールシートが遺体にかけられ、搬送されるところでした。大きな船が陸上に打ち上げられていた光景も目に焼き付いています。

 

高田一中では、避難した方々にインタビューをしました。この頃は震災からまだ4日しかたっていなかったので、皆さん興奮状態にあり、詳細に体験を語ってくれる方が多く、生々しい体験談を聞くことができました。1か月くらいたつと、思い出したくない体験になるのか、口が重くなってしまう方々が多かったです。悲しい話も多く聞きましたが、勇気づけられる話、今後の教訓になるようなお話も多く聞くことができました

 

その中でも印象的だったのが、地元企業にお勤めの方の話2つです。一つは女性の方の体験談で、地震後会社にのこって、もう大丈夫なのではないかと思ってのんびりこれからどうするか考えていたら、社長さんが入ってきて「何をしてるんですか!早く山の方に逃げなさい!」と残っている人たちに向かって怒鳴り、その権幕におされて逃げて、津波から逃れることができた、というようなお話でした。似たような話を後に何度か聞いたので、このことからリーダーシップの重要性を改めて認識することができました。

 

もう一つもちょっと似たような話なのですが、江戸時代から続く地元の老舗企業の方のお話で、昔からの社訓に従ったので、社員に死んだ者は誰もいなかった(当日出社していた方々)という話しでした。その社訓が、「大きな地震の後には大津波がくるから、会社の裏の山に上れ」というものだったそうです。その通り行動したおかげで、出社していた社員の死者は0だったそうです。

 

このように、災害で何が起こったか、どう行動するべきかを後世に伝えることは、その後の似たような災害で大きな損害や死者を出さないためにも、とても重要だと思います。中にはあまり見たくないような記録もあるかもしれません。でも、事実から目を背けず、それを教訓にして今後に生かすようにすることが大切です。そのためにも、言い伝えや伝承施設、石碑などで、津波地震の時に何が起こったか伝えていくことが重要ではないでしょうか。

 

学校など被害を受けた様々な建物が、震災遺構として保存されて公開されています。また、地元住民の間に反対する人が多く、残念ながら取り壊されてしまった建物もありました。思い出したくない気持ちがあるのだと思いますが、何等かの形で伝えていくことが、供養にもなるのではないか、というのが私の意見です。陸前高田の「東日本大震災津波伝承館-岩手Tsunamiメモリアル-」も、そのような目的で建設された施設です。

 

高田松原があったところ(近く?)に建設されたようです。何千本という松が、江戸時代から植林されて残っていたのですが、津波の跡に残ったのはたった1本でした。高田松原は、子供のころから小学校卒業するくらいまで、毎年のように海水浴に家族で行っていたので、この話を聞いたときにはちょっとショックでした。でも、1本松も枯れてしまったけど別の形で残されたようだし、道の駅の名前に「高田松原」が入っていて、名前も残されているので、なんだか安心しました。

 

阪神大震災の情報館にも行ったことがあるのですが、とても恐ろしくて二度とこのようなことが発生しないよう、被害が拡大しないようにするには災害を侮ってはいけない、ということを肝に銘じるきっかけとなりました。このような施設を見て思いを新たにすることが、防災、減災につながると思います。ぜひ訪れて見てみたいと思っています。