英語通訳・翻訳・ガイド・講師 Junのブログ

東北を拠点に英語通訳・翻訳・通訳ガイド・英語講師のJunが、英語・教育・手芸などについて発信します。

平泉ガイド研修1日目に参加

主に新規登録者向けの、平泉ガイド研修に参加しました。子供の中学校が今日出校日だったので、少し遅れて10:30過ぎから参加しました。平泉町役場にて開催されました。参加者は、途中から参加した方(私も)含め、12名でした。

 

先輩ガイドの体験談のところから参加し、その後災害対応に関する話が、中国語ガイドのMさんからありました。Mさんは防災士の資格を取得したそうです。その後、東京での新制度に関する会議や研修の様子について話して欲しいという要望があったので、その件について私の方から説明しました。

 

午後は、専門家による講演会でした。平泉町役場勤務の考古学者、八重樫忠郎博士から、様々な興味深いお話を聞くことができました。印象に残った点を、以下に記載します。前後の脈絡なく、思い出したベースで書きます。

 

・武士を表す言葉「もののふ」は、物部氏のこと。物部氏が強かったことから、こう呼ばれるなった。

・「つわもの」の漢字は「強者」ではなく「兵」。兵器=うつわ→兵器を扱う者=「うつわもの」から来ている。

・首から上の骨を見れば、男性か女性か識別できる。男性は頭蓋骨の下のところに触るとわかる骨があり、女性にはない由比ガ浜を掘ると、鎌倉時代に戦乱で死んだ人々の骨がたくさん出てくる。

侍=さぶろう者…彷徨う者。放浪しながら主に貴族に仕えていた強い者たちが武士になった。

郡は中央から来た侍とか貴族が、税金を取っていたところ。奥六郡、仙北三郡。

浄土庭園は、西に少なく東に多い。西は平等院鳳凰堂だけ。東の方には毛越寺など結構多く存在する(していた)。武士と仏教の関係性。この時代の文化は京都から広がったのではなく、京都が東の文化(平泉など)をまねた可能性もある。

木の卒塔婆は石の五輪の塔と切れ込み方が同じ

基衡の時代には、血なまぐさい後継者争いがあった。基衡は元々後継者ではなかった。

中尊寺の本堂は北緯39度ぴったりだった。数年前の誤差調整で外れたが、今度は金色堂が39度ぴったりになった。

金色堂に秀衡の遺体と共に収められた泰衡の首は、誰が持って帰ってきたのか。普通、さらし首はそのまま捨てられるかその場で供養。しかし、泰衡の首は金色堂に収められた。以前は忠衡の首と思われていたが、年令が30前後と忠衡より(当時23歳)より年上。ミイラ化した首の額に穴。「泰衡の首は長さ八寸の釘で打ちつけられた」という話と一致。首は泰衡と判明

・泰衡の首は、母方の叔父に当たる俊衡が、自らの樋爪の屋敷を焼き払って投降し、逃亡している間に持ち帰ったと思われる。後に彼と子供は罪を許される。

・泰衡の首桶に入っていたハスなどの種は100個あった。なぜ入っていたか。108つだったと思われる。8つが腐ったり虫に食われるなどしてなくなって、100個になったのでは?

ハスの花は極楽浄土に咲く花。種が多いー子孫繁栄。泥の中から咲くー清浄なイメージ。ハスにから朝露が池に落ち、池に落ちた朝露から死者がよみがえると思われていた。

金色堂の屋根は2重になっていた。2重部分に制作年、サイズ、制作した大工・小工その他職人の名前(棟梁と現場監督のみ)と人数、お金を出した人の名前(清衡と妻など女性)が書かれた木簡が見つかった。大工の苗字が物部→東北の名前ではないので、職人は京都から呼び寄せたと思われる。当時の最先端の技術を駆使。

日本では、以前は女性も財産を持っていた。男尊女卑傾向は、江戸末期あたりから出てきた。それまではお金持ちの女性も多く存在した。

金色堂の値段は、現在同じものを作ったら100億円以上。柱一本当時と同じように作ってみた時の値段が1億円だった。

・天井→井戸の井と言う字を使っている。天から水がふってきて、火事を防ぐようにという願い。

金色堂が金色なわけは、魔物は光と美しい音が嫌い。浄土はきれいな光と音に満ち溢れている

屋根まで金箔が貼ってあるお堂は日本では金色堂だけ

・インド原産の孔雀は、あの世とこの世を行き来できると信じられていた。

金色堂には夜光貝が300個使われ、そこから6万パーツ作成された。

源信「往生要集」には、往生した者の死体からは「紫の煙が立ち上り、腐らない」とある。藤原氏は往生したから腐らない。そういう加工された遺体は、以前は京都など他の地域にもあったと思われる。金色堂だけが古い時代から焼け残って現存しているので、特殊だと思われている。

金色堂が戦乱やその他を経ても残ったわけ。屋根が2重。屋根に漆と金箔が貼ってあったので、火の延焼を防げた。サイズがコンパクト。鎌倉幕府が作った覆い堂があったから。中尊寺の僧侶や信者の残すという執念。

金色堂の修理は、修理して物の状態に戻すか、そのままにするかで大激論があった。写真家土門拳氏はそのままの方がよいという意見。結局金箔は張って、ほぼ元のような状態に修理。しかし、実際はもっとカラフルな色がついていた。色までは塗らなかった。

丈六仏。仏像のサイズ。4・7m。中尊寺の讃衡蔵にある仏像3つも丈六仏。でも、2mくらいにしか見えない。理由:座っているから。立った時のサイズが4.7mとされ、丈六仏と言われる。

・月見坂は極楽浄土への道。中尊寺はあの世の世界。毛越寺は現世利益の寺

 

だいたいこのようなことをお話しされました。小学生の頃、地元デパートで中尊寺の宝物やミイラの展示があったような記憶があるのですが、今からすると考えられない話なので、そういうことが以前あったか聞いてみたら、「あった。」という答えでした。今は金色堂の周りはガラス張りですが、数十年前までは、ガラスの覆いはなくて、触れるような状態で、貸出なども割と気軽に行っていたそうです。しかし、一部の工芸品などが盗難にあうなどの事があったため、ガラスの覆いを付けて厳重に管理するようになったそうです。

 

以前から、八重樫先生のお話は面白い、と聞いていたので、一度私も講演会に行きたいと思っていました。とても興味深いお話でした。明日は古都の会のメンバーによる日本語ガイドを聞く研修ですが、子供の塾の講演会と重なったので、そちらの方に出席することになると思います。もし気力があったら、午後からだけでも参加しようかと検討中です。