Junの英語学習ブログー英語通訳・翻訳・ガイド・講師ー

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東日本大震災の被災地で通訳をして経験したこと・考えたこと 2 教訓 Lessons Learned

2では、地震の時の経験や、取材の通訳として同行し、色々な話を聞いた経験から学んだことを書きたいと思います。

 

1.オール電化はある意味弱い。ガス、石油など、他の手段も準備せよ

両親は餅屋を経営しています。その餅屋に、地震が起こった日の夕方、老人ホームから、職員の方が来ました。何でも、施設を新しくオール電化にしたら、地震で電気が止まってしまい、入居者の食事が作れなくなった。おにぎり70個作ってほしい、ということでした。一部水道が泊まった地域もあったようですが、うちは水道も出ていたし、ガスで調理していた(店だから当然といえばそうですが)ので、問題なく調理できました。他にも、やはり電気が止まって料理できなくなった、という方々が震災の日以降結構大勢来店しました。また、職業柄、米の蓄えもあったので、とりあえず食べ物には困りませんでした。

電気が止まって困ったのは、暖房でした。どうしようかと思っていたら、幸い、妹が石油ストーブを2台持っていたので、一大借りることができました。テレビも付かなくなってしまいましたが、父親が手回で充電する形式のラジオを買ってきました。

電気だけに頼らなくても、調理ができて、情報が得られるようにするものを準備しておくべきだと思いました。

 

2. 普段から準備しておく

非常用になる食べ物を普段からストックしておいた方がいいと思いました。非常用の持ち出しバッグなどを準備されている方は心配ないかもしれません。それがなくても、このような事態になったときのために、水と米、チョコレート、缶詰など、保存のきく食料を、ある程度準備しておいた方がいいようです。食料の供給路が止まり、コンビニやスーパーなどから食料がなくなる、という事態も起こりました。

また、普段から避難訓練を行ったり、適切な逃げ場の指示をだすのも重要なようです。普段からの訓練のおかげで、釜石の小学生にほとんど犠牲者がいなかった、という「釜石の奇跡」と言われている話もあります。

 

3. 「なーに、大丈夫だべ」という根拠のない楽観主義は捨てる

この震災では、地震津波の威力を甘く見てしまったことが原因で亡くなった方も、大勢いらっしゃったようでした。これには、震災1か月前にやや強めの地震が来た時のことが原因になっているとも思われます。この時、やはり津波警報が出されましたが、警報では1mの津波がくるという話しだったのに、実際に来たのはたしか数センチ(1㎝とか2㎝)でした。しかし、この時の岩手日報のニュースに、避難警報が出たにもかからわず、避難所に避難したのは7人(たしか。とにかく少数だった)だけ、という記事が掲載されていました。私は、これを読んだ時に、「危ないのではないか」と嫌な予感がしました。結果的に2,3㎝だったものの、1mの津波がくる可能性だってあったのです。それで、この人数しか非難しないというのは、ちょっと楽観的すぎるのでは、と思ったのでした。結構、岩手県には、うちの両親を含めて、こういうのんびりした方々が特に高齢者に多いのです。最近の北朝鮮のミサイルもそうですが、用心するに越したことはないと思います。

 

4. 原発は、地震の多い国では建てるべきではない

原発については、以前から広瀬隆さん本を読んだり、今は無き月間プレイボーイの記事で(ヌードだけではなく、政治や国際情勢などの硬派の記事やインタビューが多かったので、よく喫茶店などで読んでいた)、スリーマイル島チェルノブイリの事故の特集を読んで、あまりいいものではないと思っていましたが、今回の件で、日本は原発はなるべく早く全部停止した方がいい、持つべきではない、と思うに至りました。地震がない国なら、まだいいと思います。例えば、UAEなどでは、周りに民家のない砂漠地帯に原発を立てる計画があると、この前会った記者の方は話してました。これなら、場所的にはあまり問題ないし、安全性も高いかもしれません。でも、日本のように地震や火山の爆発、その他自然災害が多いところでは、原発は危険だと思います。再生可能エネルギーへの転換を急ぐべきだと思います。

 

5.リーダーシップは大事

リーダーや、先人の教えのおかげで助かった、という体験談をよく耳にしました。昔からの老舗の商店で、代々大地震の時は山に逃げろと言われていて、それを実行して助かったとか、社長の指示で急いで逃げて助かったとか、そういう話です。しかし、逆に、支持が悪かったため、多くの犠牲を出した話もありました。こういう時に、リーダーがどういう指示をだすのかがとても大事になってくる、ということが分かりました。また、堤防の高さを以前の大津波を基準にして建てることを譲らなかった自治体の長がいたところは、その堤防のおかげで助かった、という話しもあります。これも強いリーダーシップのおかげだと思います。

 

6.経験を次世代に伝えることが大事

震災では、上のように老舗商店に話が伝わっていたり、地域に昔の経験を刻んだ石碑が残されていて、それに従ったため助かったという話が多く聞かれました。また、時に経験を語ることはつらいこともありますが、次に役立てるために、記録に残しておくべきたど思います。震災遺構のことが時々話題になりますが、忘れたいという気持ちもわかりますが、原爆ドームのように残す方向で考えた方がいいのでは?と思います。(ものにもよると思いますが。)

 

震災の直後から、多くのボランティアの皆さんや、外国から援助をしていただきました。東北のために何かしてくださったことに感謝いたします。それと、震災で考え方が少し変わったのが、自衛隊とアメリカ軍に対してです。以前はどちらにもあまりいい印象を持っていなかったのですが、この時ほど自衛隊とアメリカ軍がありがたかったことはありませんでした。アメリカ軍については、他にも仕事でここ数年関わることがあり、兵士の皆さんは私の予想以上に、同盟国を守りたいと思っている人が多く、ランクが少し上の方の人たちには、普通の人以上に紳士、ということも分かりました。もちろん、基地の問題については、沖縄だけに負担を押し付けないよう、移転などを含めて考えるべきこともあると思います。しかし、軍事的な要衝だから、基地があるということもあるんだろうな、ということは感じます。こちらから攻めず、守りや災害援助に徹する、という存在であり続けてくれることを、自衛隊にもアメリカ軍に対しても祈っています。

 

震災の経験で学んだことを、今後の生活に役立て、次の世代に伝えていくようにしたいものです。